崩壊した白亜の城を背に、ルクス隊は静かに歩みを進めていた。
先頭には隊長アリア。
その後方には神託術士と護衛隊。そして隊列の中央では、青白い神託の光に包まれた一枚の石畳が音もなく宙を滑るように進んでいる。
石畳の上では、一人の少女が静かに眠っていた。
まるで風に揺られることすら拒むかのように、その長い乳白色の髪は穏やかに揺れ、純白の衣装は数千年という歳月を感じさせないほど美しかった。
少女の寝息だけが、この静寂に包まれた都市へ小さな命の音を刻んでいる。
誰も口を開かなかった。
いや、開けなかった。
胸の内には疑問が溢れ返っている。
どうして数千年前の少女が生きているのか。
なぜ隊長だけが彼女の声を聞いたのか。
そして、この都市で一体なにが起こったのか。
答えを知る者は誰一人としていない。
ただ、崩壊した街だけが沈黙を守っていた。
帰路となる大通りを歩きながら、一人の研究員が小さく呟く。
「……静かですね。」
その言葉に隣の隊員も頷く。
「ああ。」
「静かすぎる。」
風が吹く。
崩れた建物の隙間を抜けた風は、砕けた石片を転がし、乾いた音を街へ響かせる。
それだけだった。
鳥もいない。
虫の羽音すら聞こえない。
都市には命の気配が存在しなかった。
街路には崩れた露店が並び、倒れた石柱には蔦が絡みついている。
朽ちた噴水。砕けた長椅子。割れた窓。
どれも人の営みがあった証でありながら、その続きを語る者はいない。
「こんな街だったとは……。」
護衛隊の一人が足元を見つめる。
「古い文献では天空に咲く理想郷なんて呼ばれていたのに。」
「理想郷、か。」
副隊長リヒトは苦笑する。
「少なくとも今は、その面影すらないな。」
アリアは黙ったまま歩いていた。
しかし心は別の場所にあった。
(あの子……)
眠る少女。
数千年間誰にも見つかることなく眠り続けていた存在。
どうして自分だけが声を聞けたのか。
どうして自分だけが導かれたのか。
どうして封印は、自分が触れた瞬間に解けたのか。
偶然とは思えない。
しかし理由も分からない。
(この子が目覚めれば……)
すべて分かるのだろうか。
そんな期待と、不安が胸の奥で入り混じっていた。
やがて視界が開ける。
仮拠点として設営した広場だった。
簡易テントが並び、観測機器が静かに稼働している。
遠くでは観測用ドローンが低い音を立てながら巡回飛行を続けていた。
「隊長!」
仮拠点を守っていた隊員たちが一斉に駆け寄ってくる。
「ご無事でしたか!」
「ええ。」
アリアは微笑みながら頷く。
「大きな問題は―」
そこまで言って、隊員たちの視線が一斉に中央へ向いた。
宙に浮かぶ少女。
「……」
一瞬。
誰も声を出せなかった。
次の瞬間。
「え………。」
「人間……?」
「そんな」
「どうして…。」
どよめきが広場中へ流れた。
「ここは数千年間封印されていた場所じゃ…。」
「生きてるのか?」
「幻覚じゃないよな…?」
誰もが目を疑う。
それも当然だった。
数千年前に滅びた都市。
そこに眠る、一人の少女。
常識という言葉では説明できない光景だった。
アリアは軽く手を挙げる。
「みんな、落ち着いて。」
騒めきが静まる。
「この子は、私を封印まで導いた声の主だと思います。」
隊員たちは真剣な表情で耳を傾ける。
「城の最上部で眠っていました。」
「生命反応は正常です。」
「ただ…目覚めません。」
少女へ視線を向ける。
「どういう理由かは分かりませんが、この子は数千年という時間を超えて生きています。」
その言葉だけで十分だった。
誰も軽率な質問をしなかった。
この少女こそ、ソレーヌ最大の発見なのだと理解したからだ。
「調査班。」
アリアが振り返る。
「周辺調査はどこまで進みましたか?」
研究主任がすぐに前へ出る。
「はい、報告いたします。」
携帯端末を操作しながら説明を始めた。
「まず神託の加護についてですが、依然として都市全域へ極めて高い濃度で存在しています。」
画面には観測波形が表示される。
「特に城を中心とした区域では、現代のあらゆる地域を遥かに上回る数値を観測しました。」
「やはり…」
アリアは静かに呟く。
あの感覚は間違いではなかった。
研究主任は続ける。
「建物内部の調査では、崩壊の激しい区域が大半でしたが、一部住居から生活用品や状態の良い書物を発見しています。」
「解析できそうな遺物も複数確認しました。」
「本国へ持ち帰り、詳細な調査を行います。」
隣の神託術士が資料を引き継ぐ。
「都市各所に残る破壊痕についても解析しました。」
彼は少しだけ表情を曇らせた。
「結論から申し上げます。」
「これらは全て神託術による破壊です。」
広場が静まり返る。
「しかも通常の神託術ではありません。」
「残留する神託の性質から判断すると…極めて高度な消失系の神託術によるものだと考えられます。」
「消滅……」
誰かが息を呑む。
「現代では再現不可能な規模です。」
「推測の域を出ませんが、この都市では神託術を用いた大規模な戦争、あるいは内戦が起きた可能性が極めて高いでしょう。」
アリアは崩壊した街並みを見渡した。
あの傷跡。折れた塔。崩れた城。
すべて人の手で壊されたという事実が、胸を締め付ける。
研究主任は最後の報告を口にした。
「なお、生体反応についてですが…。」
端末を閉じる。
「観測ドローンによる周辺探索の結果、人間はもちろん、小動物や昆虫含め、生体反応は一切確認されませんでした。」
完全なる無人都市。
その言葉が、重く広場へ落ちる。
「ありがとう。」
アリアは静かに頭を下げた。
「引き続き解析をお願いします。」
「了解。」
報告が終わる。
アリアは少女を見つめた。
今後どうするべきか。
このまま調査を続行するのか。
それとも少女を保護したまま、一度レグナリア共和国へ帰還し、本部へ報告すべきか。
ソレーヌは未知に満ちている。
焦る必要はない。
だが、この少女を危険へ晒すわけにもいかなかった。
(どうすれば……)
その時だった。
「――隊長!」
護衛隊の叫び声が響く。
「少女が!」
アリアは勢いよく振り返る。
「!」
眠ったままの少女が、ゆっくりと片腕を持ち上げていた。
閉じられた瞼はそのまま。
意識はない。
それでも細い指先だけが、遥か彼方――都市の外れを真っ直ぐに指していた。
アリアの背筋を冷たいものが走る。
(何か……伝えようとしている?)
少女の視線の先。
そこには何も見えない。
しかし次の瞬間。
遥か遠方で、小さな光が一瞬だけ瞬いた。
まるで星が地上で瞬きをしたような、刹那の閃光。
「…っ!」
その光を見た瞬間、アリアの神託術士としての本能が悲鳴を上げた。
空気が変わる。
世界そのものが軋む。
神託の流れが、一点へ向かって急激に収束していく。
「遠距離観測機器を用意!」
アリアが鋭く叫ぶ。
「少女の指す方向を確認、急いで!」
研究員たちが慌てて大型観測装置へ駆け寄る。
しかし――。
(違う……)
アリアだけは気づいていた。
もう遅い。
これは観測する時間などない。
神託術は、すでに完成している。
敵は発動を終えている。
空間そのものが術式へ組み込まれている。
防壁を展開する暇すらない。
アリアの瞳が見開かれる。
(防壁が――)
(間に合わない。)
――次の瞬間だった。
遥か彼方で瞬いた一筋の光が、世界そのものを裂くように膨れ上がる。
眩い白光が一直線に空間を駆け抜け、仮拠点へ向かって襲い掛かった。
「――っ!」
アリアは反射的に神託剣へ手を伸ばす。
だが、遅い。
神託術士としての本能が告げていた。
(術式はもう完成している…!)
相手は発動の瞬間を見せなかった。
観測される前に構築し、視認される前に解放した。
神託術による奇襲。
しかも、現代では考えられないほど高度な術。
防壁神託術を展開する時間は、もう残されていない。
(間に合わない――!!)
直後。
轟音が世界を揺らした。
爆炎が広場を飲み込み、衝撃波が爆風となって石畳を抉る。
地面が震え、瓦礫が宙を舞い、耳を裂く爆音が鼓膜を激しく叩いた。
誰もが死を覚悟した。
――しかし。
「…………?」
熱くない。
衝撃も来ない。
アリアは恐る恐る目を開いた。
「……え?」
目の前には、淡く揺らめく白い光が広がっていた。
仮拠点全体を覆うように形成された巨大な半球状の結界。
その光はどこか見覚えがあった。
優しく、それでいて決して破られることのない絶対的な神聖さ。
「これは……」
隊員たちも呆然と立ち尽くしていた。
「俺たち……生きてる……?」
「傷が…ない。」
「今の攻撃を防いだのか…?」
結界の外では、爆炎が白い壁へぶつかり、波紋を描きながら静かに消滅していく。
あれほど凄まじい神託術が、一歩たりとも内側へ届いていない。
まるで世界そのものが、この空間だけを切り離して護っているようだった。
アリアはゆっくりと振り返る。
「……!」
少女だった。
眠ったまま。
瞼は閉じられたまま。
それでも右手だけを静かに前へ伸ばし、その小さな掌から淡い白銀の光が絶え間なく溢れている。
長い髪が光に溶けるように揺れ、衣装の裾が風もないのに静かにはためいていた。
神秘的だった。
まるで一枚の絵画をみているかのように。
その姿だけが、この滅びた都市とは違う時間を生きている。
「……この子が。」
アリアは息を呑む。
自分たちを守っている。
それも――。
(詠唱がない……)
聞こえなかっただけではない。
神託術を発動するときに生じる神託の流れ。
術式を編み上げる兆候。
その全てが存在しなかった。
まるで最初から世界が少女へ従っていたかのように、自然に術が展開されている。
現代の神託術ではあり得ない。
アリアでさえ超上級神託術士として幾度となく神託術を行使してきた。
だからこそ理解できる。
(……無詠唱。)
(それどころか…。)
(術名すら唱えていない。)
神託時代。
その言葉が脳裏をよぎる。
記録でしか知らない、神託が世界を満たしていた時代。
もし本当に、この少女がその時代を生きた存在なのだとしたら――。
「隊長!」
副隊長リヒトの声で、アリアは我に返る。
考えるのは後だ。
今は敵がいる。
少女の結界がいつまで維持されるか分からない。
アリアは剣を抜いた。
銀色の刀身が静かに光を反射する。
「総員、戦闘配置!」
その声だけで、隊員たちの表情が一変した。
「護衛隊は少女を中心に円陣を形成!」
「神託術士は最前列へ!」
「結界が解除された瞬間、防壁神託術を同時に展開!」
「観測班は大規模観測機器を起動!敵影を補足してください!」
「了解!」
誰一人として迷わない。
隊員たちは即座に持ち場へ散開し、それぞれが神託武器や神託端末を構える。
神託術士はたちは深く息を吸う。
いつでも詠唱へ移れるよう集中を高める。
護衛隊は少女を囲み、盾を重ねるように陣形を組んだ。
その時だった。
アリアの鋭い感覚が、小さな変化を捉える。
「……!」
少女を包む神託の流れが、僅かに揺らいだ。
まるで燃え尽きる直前の灯火のように。
アリアは叫ぶ。
「来る!」
「結界が解ける!全員、構えて!」
少女は静かに手を下した。
安堵したような穏やかな表情のまま。
その小さな身体から力が抜け、再び深い眠りへ沈んでいく。
同時に。
仮拠点を覆っていた白い結界が、雪のように光の粒となって静かに消えていった。
視界が開ける。
そして全員が息を呑んだ。
「…………」
結界の外側だけが、消えていた。
まるで巨大な円で世界を切り抜いたかのように。
広場を囲む石畳は黒く焼け焦げ、建物は跡形もなく消失し、大地には深い抉れた傷跡が幾重にも刻まれている。
爆風によって巻き上げられた砂塵がゆっくりと晴れていく。
もし結界が一瞬でも遅れていたら。
ルクス隊は誰一人、生き残れなかっただろう。
「……容赦、ない。」
誰かが震える声で呟く。
アリアは剣を握り締めた。
「観測班!」
「敵影は!」
大型観測機器が唸りを上げ、高倍率特殊レンズが攻撃の飛来した方角を捉える。
研究員が必死に画面を確認する。
「……駄目です!」
「敵影、確認できません!」
「熱源反応なし!生体反応なし!」
「神託波も補足できません!」
アリアも意識を極限まで研ぎ澄ませる。
神託の流れ。
空気の揺らぎ。
微かな違和感すら逃さぬよう神経を張り巡らせる。
――だが。
(…何も、いない。)
そこにあるのは、静寂だけだった。
まるで最初から、敵など存在しなかったかのように。
砂煙だけが静かに舞っていた。
誰も動かない。
いや、動けなかった。
ほんの数秒前まで、自分たちは確かに死を覚悟していた。
それほどの神託術だった。
現代の神託術士では到達できない圧倒的な術式。
もしあの少女がいなければ、ルクス隊は一人残らずこの広場で命を落としていただろう。
アリアは剣を握る手に力を込める。
敵は見えない。
気配もない。
しかし、確実にこちらを狙っている。
その事実だけが、この場の空気を張り詰めさせていた。
「……」
静寂。
風だけが崩壊した街を吹き抜ける。
観測班は必死に機器を操作している。
「索敵継続!」
「神託波異常なし!」
「熱源反応なし!」
「映像にも変化ありません!」
報告だけが響く。
アリアは目を閉じ、一度だけ深く息を吸った。
神託の流れを辿る。
空気の揺らぎ。
大地の震え。
生命の気配。
すべてを研ぎ澄ませても――。
(見つからない。)
敵は、自分より遥かに上手だった。
神託を隠蔽しているのか。
あるいは、あまりにも遠距離から攻撃してきたのか。
どちらにせよ、今のルクス隊では追跡は不可能だった。
そして何より。
アリアは静かに眠る少女へ目を向ける。
先ほどまで結界を維持していた右手は力はなく下ろされ、再び安らかな寝息を立てている。
まるで何事もなかったかのように。
(…今……この子を失うわけにはいかない。)
その思いが、決断を後押しした。
アリアは振り返る。
「総員、聞いてください。」
隊員たちの視線が集まる。
「本作戦を中断します。」
その一言に、誰も異論を唱えなかった。
「ルクス副隊長。」
「はい。」
「前哨基地へ緊急撤退を伝達。」
「輸送艇の発進準備を要請してください。」
「了解!」
副隊長はすぐに通信端末を取り出し、本部との暗号回線を開く。
アリアは続ける。
「ルミナリアの調査は一時中止。」
「全体、レグナリア共和国へ帰還します。」
その声には迷いがなかった。
「この地への調査権を持つのは、我々レグナリア共和国のみ。」
「封印が解ける日時も、今回の調査計画も、全て国家機密でした。」
アリアはゆっくり周囲を見渡す。
「それにもかかわらず、私たちを狙った存在がいる。」
「人間か、機械か、それとも別の何かなのかは分かりません。」
「ですが、この地には私たち以外の勢力が存在しています。」
誰も言葉を挟まない。
「これ以上の調査は危険です。」
「まずは本部へ報告し、対応を待ちます。」
それが最善だった。
未知を前に、無謀は勇気ではない。
隊を守ることこそ、隊長の責務。
アリアは剣を鞘へ納める。
「神託術士は最後尾。」
「護衛隊は少女を中心に隊形を維持。」
「観測班は周囲を警戒しながら撤収。」
「全員―。」
一度だけ少女を見つめる。
「必ず生きて帰ります。」
「撤退!」
「了解!」
号令と同時に、ルクス隊は一斉に動き出した。
少女を乗せた石畳が再び青白い光をまとい、静かに宙へ浮かぶ。
護衛隊が周囲を囲み、神託術士は最後尾で防壁神託術を維持しながら後退する。
崩壊した天空都市ソレーヌを警戒しながら、一歩、また一歩と来た道を戻っていく。
夕暮れにも似た淡い光が、静まり返った廃都市を照らしていた。
数千年もの眠りから解き放たれた都市は、再び深い静寂へ包まれていく。
――その頃。
ソレーヌから数十キロ離れた上空。
外界から完全に隔絶された黒い神託空間の中で、一人の男が大型観測機器を覗き込んでいた。
「ふぅ~~~……」
背中を大きく丸めた男は頭を掻きながら、困ったように笑う。
「やっぱ、姫様のテリトリーだからダメか~。」
映像には、防壁を展開しながら撤退するルクス隊の姿。
「それにしても、この距離からでも感知されるなんて、とんだ化け物だな?」
男は肩を竦める。
「しかも、詠唱もなしだぜ??」
独り言のように呟いたその声へ、低く落ち着いた声が返る。
「――お前、ダメだろ。」
重厚な装甲を纏った大男だった。
鋭い眼差しで観測映像を見つめながら言う。
「あの少女が傷ついたらどうするつもりだった。」
「お前の命じゃ到底償えないぞ。」
「いやいや!」
背中を丸めた男は慌てて振り返る。
「あんな攻撃じゃ姫様には傷一つ付きませんって!」
「まあ、ルクス隊の連中は耐えられないと思いますけど。」
悪びれもなく笑う。
その様子を見て、大男は小さくため息を吐いた。
「追わなくていいのか?」
今度は少し離れた場所で地面へ座っていた若い男が退屈そうに口を開く。
大きく伸びをしながら立ち上がった。
「こんなところまで来たのに、これでもう終わりかよ。」
大男は静かに首を振る。
「彼らに我々の存在を知られる訳にはいかない。」
「初撃で仕留められなかった時点で深追いはできない。」
「俺のせいじゃないからな!」
背中を丸めた男が大げさに両手を上げる。
「姫様が動けるなんて、お前らだって思ってなかっただろ!」
「……」
大男は鼻で笑った。
「そのための専門家がお前だ。」
「それくらい読めなくてどうする。」
「ひどいなぁ………」
男は頭を抱えながら観測機器を片付け始める。
「帰りたくねぇなぁ~。」
「処罰確定じゃん……。」
若い男は最新鋭の武器を肩へ担ぎ、小さく笑った。
「無駄足だったな。」
「いや。」
大男は最後にもう一度だけ、遠ざかっていくルクス隊を見つめる。
「情報は十分手に入った。」
「今は、それでいい。」
静かに神託術を解除する。
黒い空間が音もなく崩れ、三人の姿は闇へ溶けるように消えていった。

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