天空都市ソレーヌ。
2800年前、神託時代とともに歴史から姿を消した伝説の都市。
数千年に及ぶ封印から解放されたその場所には、人々が夢見た栄華ではなく、静寂だけが残されていた。
崩れた塔。
焼け焦げた石畳。
朽ち果てた街並み。
都市そのものが、終焉の瞬間を閉じ込めた標本のように時を止めている。
風だけが、瓦礫の間を静かに吹き抜けていった。
「――全員、集まって。」
アリアの落ち着いた声が、静寂に包まれた都市へ響く。
崩壊した街並みに目を奪われていた隊員たちは我に返り、それぞれ素早く隊長のもとへ集結した。
誰もが、この歴史的瞬間に心を震わせている。
だが今は調査隊としての任務を果たすことが最優先だった。
アリアは全員の顔をゆっくり見渡す。
「封印は解かれました。しかし、私たちの任務はここからです。」
その一言で、隊員たちの表情が引き締まる。
「都市内部の安全は確認されていません。未知の構造物、未知の現象、未知の危険、何が待っているか分かりません。」
彼女は崩れた都市を見つめる。
「厳戒態勢を維持したまま探索を開始します。崩壊が比較的少ない場所を探し、そこを仮拠点とします。」
「了解!」
力強い返答が一斉に響いた。
こうして、レグナリア共和国調査隊ルクス隊による天空都市ソレーヌの本格調査が始まった。
隊列は前衛、中央、後衛へ分かれ、慎重に街の奥へ進んでいく。
足元は石畳はひび割れ、その隙間から細い草が顔が覗かせていた。
長い年月の中で育った植物ではない。
封印が弱まり始めた数十年の間に、少しずつ自然がこの場所へ戻り始めたのだろう。
左右に並ぶ建物は、白亜の石材を積み重ねて造られている。
細く高い円柱。
幾重にも連なる回廊。
優雅な曲線を描く屋根。
その一つ一つには、現代では失われ高い建築技術と芸術性が感じられた。
「……すごい。」
若い研究員が思わず立ち止まる。
「建物の配置が恐ろしく整ってる。」
副隊長リヒトも周回を見回した。
「道幅が一定だ。」
「広場を中心に街区が分かれているようですね。」
研究主任が携帯端末へ簡易地図を描いていく。
「中央部から真っ直ぐ伸びる大通り。その両側に規則正しい区画が配置されています。」
「住居区と商業区を意図的に整理した都市計画だったのでしょう。」
歩みを進めるたび、その規模が少しずつ見えてくる。
広い通りは一直線に伸び、その先にはまた広場がある。
広場同士は一本の大通りで結ばれ、そこから枝葉のように細い道が分かれていた。
まるで都市全体が一つの巨大な生命体のように、無駄なく設計されている。
崩した露店。
横倒しになった長椅子。
割れた噴水。
石造りの街灯。
どれも崩壊している。
それでも、かつてここが人々の笑顔で満ちた生活の場だったことは容易に想像できた。
「もしここが戦地にならなければ……。」
誰かが小さく呟く。
「ここは、とても美しい街だったんでしょうね。」
返事をする者はいなかった。
静かな風だけが、その言葉をさらっていく。
一時間ほど探索を続けた頃。
「隊長!」
先行していた隊員が手を挙げる。
「広場です!」
視界が一気に開けた。
そこは都市の交差点とも言える場所だった。
中央には大きな噴水。
周囲には石造りの机と長椅子。
建物の一階部分には小さな店舗だったと思われる空間が並び、人々が憩い、語らい、賑わっていた面影だけが静かに残されている。
噴水は水を失い、彫刻は崩れ、机も半ば砕けていた。
それでも広場そのものは比較的原形を保っていた。
「ここなら十分です。」
アリアは頷く。
「ルクス隊、仮拠点を設営してください。」
隊員たちは手際よく作業を始める。
通信装置。
神託粒子観測機。
簡易宿営設備。
携帯発電装置。
観測用ドローン。
静まり返っていた廃都へ、黎明時代の機械音が少しずつ響き始めた。
作業が一段落すると、アリアは一人、広場の中央へ立った。
そっと目を閉じる。
静かに息を吸う。
その瞬間だった。
「……」
胸の奥へ、優しい温もりが流れ込む。
空気そのものが違う。
身体が軽い。
神託術を発動しようと意識しなくても、世界そのものが自分へ語りかけてくるような感覚。
「隊長?」
同行していた神託術士が不思議そうに振り向く。
「どうかしましたか?」
「この場所……。」
アリアはゆっくりと目を開く。
「神託の加護が、都市全体に満ちてる。」
神託の加護。
神託術を扱うために必要不可欠な、目には見えない力の流れである。
現代ではその濃度が著しく低下しているため、多くの神託術士は科学技術による増幅装置を介して初めて十分な力を扱うことができる。
しかし、この都市は違った。
息を吸うだけで神託が身体へ満ちていく。
まるで世界そのものが巨大な神託陣となり、静かに鼓動しているかのようだった。
「こんな濃度…記録にもありません。」
神託術士も驚きを隠せない。
アリアは静かに頷く。
そして自然と視線は都市の中心へ向かった。
白亜の城。
崩れた城壁。
折れた塔。
その中でも、ひときわ高く天を目指す一本の大塔。
その瞬間。
胸が小さく、高鳴る。
少女の声はもう聞こえない。
封印が解けたあの瞬間から、不思議な声は風とともに消えてしまった。
けれど代わりに、穏やかな神託の波だけが、絶えずあの塔から流れくる。
まるで誰かが、静かに眠っているように。
「……あそこ。」
アリアは無意識に呟いた。
「あの塔に……誰かがいる。」
確証などない。
証拠もない。
それでも、その鼓動だけは嘘ではないと、彼女は確信していた。
仮拠点の設営が完了すると、アリアは再び部隊を集めた。
広場の先には、都市の中心へ向かって一本の大通りが真っ直ぐに伸びている。
その先にあるのは、白亜の城。
ソレーヌの象徴であり、この都市で最も重要な場所だったのであろう建築物だ。
無数の塔を従えるように建つその城は、今もなお威厳を失ってはいない。
だが、その姿はあまりにも痛々しかった。
城壁には巨大な亀裂が走り、崩れ落ちた外壁の向こうからは折れた柱が無惨に突き出している。
何本もの塔は途中から崩壊し、空へ向かっていたはずの尖塔は、大地へ突き刺さるように倒れていた。
それでもなお、この城は数千年もの間、誰かを守り続けてきたように静かにそこへ佇んでいる。
アリアは城を見つめながら口を開いた。
「これから部隊を二つに分けます。」
隊員たちの視線が集まる。
「研究班を中心とした部隊は、この仮拠点を拠点として周辺区域の調査を続行してください。」
簡易地図を広げながら続ける。
「副隊長リヒト。」
「はい。」
「ここをお願いします。護衛班を半数残してください。」
「了解しました。」
リヒトは迷いなく敬礼した。
長年アリアと共に任務をこなしてきた彼だからこそ、余計な説明は必要ない。
アリアは城を高く見上げる。
「あの城の最も高い塔へ向かいます。」
静かな声だった。
「………あそこにいます。」
研究主任が首を傾ける。
「声の主ですか?」
「ええ。」
アリアはゆっくりと頷く。
「封印が解けてから、声は聞こえなくなりました。」
胸元へそっと手を添える。
「でも代わりに、この胸へ神託の波が届いています。」
穏やかな鼓動。
優しく、自分を待っているような温もり。
その波は、決して途切れることなく城の最上部から流れ続けていた。
「そこに、この都市を封印し続けてきた誰かがいます。」
沈黙が流れる。
普通なら到底信じられる話ではない。
だが誰も疑わなかった。
封印が解かれる瞬間を、この目で見たのだから。
「どうか、私を信じてください。」
「もちろんです。」
最初に答えたのはリヒトだった。
「隊長を信じる。それがルクス隊です。」
その言葉に隊員たちが静かに頷く。
アリアは小さく微笑んだ。
「ありがとう。」
「では、出発します。」
城門は半ば崩れ落ちていた。
巨大だったであろう両開きの門は砕け散り、白い石畳の上へ倒れたまま数千年の時を過ごしている。
その隙間を縫うように、アリアたちは城内へ足を踏み入れた。
途端に空気が変わる
外よりもさらに濃い神託の加護。
静寂。
そして、胸が締め付けられるような痛み。
広大な大広間。
天井は崩れ、青空が覗いている。
床には巨大な亀裂が走り、砕けた柱が無造作に横たわっていた。
壁を飾っていたのであろう巨大な絵画は焼け落ち、額縁だけが黒く残っている。
「……ひどい。」
若い隊員が思わず呟いた。
さらに奥へ進む。
長い回廊。
窓ガラスは砕け散り、吹き込む風が割れた破片を転がしていた。
甲高い音が静かに響く。
その音だけが、この城に残された唯一の生活音のようだった。
壁には深く抉られた傷跡。
鋭利な刃物ではない。
強大な力が一瞬で石を砕いたような傷跡だった。
神託術士の一人が壁へ触れる。
「…これは。」
「何か分かるか?」
研究主任が尋ねる。
「神託術の傷跡です。」
神託術士はゆっくりと答えた。
「しかも、かなり高位の。」
別の隊員が床を指差す。
「こちらにも爆ぜた跡があります。」
黒く変色した石畳。
溶けたように歪んだ柱。
崩壊の原因は老朽化ではない。
誰かが戦った跡だった。
研究主任は静かに呟く。
「断片的に発見されている神託時代の文献には、各地で神託術による戦争が続いていたと記されています。」
視界を城内へ巡らせる。
「ここも……例外ではなかったのかもしれません。」
誰も言葉を返さない。
人類史上最も栄えた文明。
その終焉が戦争だったのなら、あまりにも悲しすぎる。
やがて、一行は最奥部へたどり着く。
そこには一本の巨大な螺旋階段が天へと向かって伸びていた。
城の中心塔。
他の塔より一回りも二回りも大きく、その頂は崩れながらもなお空に届こうとしている。
アリアは階段を見上げた。
――ここだ。
鼓動が一段と強くなる。
「隊長?」
「……います。」
そう呟いた瞬間だった。
身体が勝手に動いた。
「隊長!」
仲間の制止も耳に入らない。
石段を駆け上がる。
一段。
また一段。
息が切れることも忘れ、ただ導かれるまま走り続けた。
そして。
崩れた塔の入口が見えた瞬間、アリアは立ち止まる。
「…。」
そこに、一人の少女が眠っていた。
崩れた石畳へ静かに横たわる、小さな身体。
月光を溶かしたような乳白色の長い髪。
純白を基調とした、どこか神聖さを感じさせる衣装。
瓦礫に囲まれているにもかかわらず、その姿だけは時から切り離されたように美しかった。
まるで、おとぎ話に登場するお姫様のようだった。
数千年もの眠りを、今なお静かに見続けている少女だった。
アリアはゆっくりと近づく。
膝をつき、震える声で問いかける。
「………あなたなの?」
返事はない。
「私を呼んでいたのは……あなたなの?」
少女は眠ったままだった。
だが胸は規則正しく上下している。
生きている。
しかし、その表情は穏やかではない。
苦しそうに眉を寄せ、小さく震えながら、長い悪夢に囚われているようだった。
「…大丈夫。」
アリアは無意識に少女の前髪をそっと払う。
「もう、大丈夫だから。」
その時だった。
「隊長!」
後続の隊員たちが駆け上がってくる。
「急に走り出すから心配しましたよ!」
しかし少女の姿を見た瞬間、全員が言葉を失う。
「……人間?」
「生きてるのか……?」
「そんな……あり得ない…。」
数千年前の世界。
そこに眠る、一人の少女。
常識では説明できない光景だった。
アリアは静かに立ち上がる。
「この子を仮拠点へ連れて帰ります。」
「ここで目覚めさせるのは危険です。」
誰も異論は唱えなかった。
アリアは少女の傍らへ手を伸ばす。
静かに神託の詠唱を紡ぐ。
青白い光が足元へ広がり、円形の神託陣が静かに回転し始めた。
「オラクル・リヴァーテ」
《静寂なる大地よ、その揺り籠を我に預けよ》
詠唱とともに、少女を中心とした光が優しく包み込む。
石畳が音もなく切り離され、そのまま数メートル四方の大地ごと、ふわりと宙へ浮かび上がった。
「石畳ごと……!」
研究員が息を呑む。
「身体へ一切負担を掛けないためです。」
アリアは穏やかに微笑む。
「この子には、まだ眠っていてもらいましょう。」
まるで壊れ物を扱うような優しさだった。
隊員たちは少女を囲むように隊形を組む。
誰もが自然と武器へ手を添え、周囲を警戒する。
「帰りましょう。」
アリアの一声で、一行はゆっくりと歩き出した。
第1話「導かれしアリア」←前回はこちら
続きはこちら→第3話「目覚め」
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