どれほど歩いただろうか。
街道を幾日も進み続けた三人は、ようやく次なる目的地へと辿り着こうとしていた。
アリア、アリシア、そしてクレナ。
それぞれ胸に抱える想いは違えど、今だけは同じ景色を見つめていた。
丘を越えた先。
朝日に照らされた巨大な城壁都市が姿を現す。
幾重にも重なる赤茶色の屋根。
空へと伸びる時計塔。
大小様々な橋が幾本もの運河を跨ぎ、街の中央には無数の人々が行き交っている。
風に乗って届くのは、人々の笑い声。荷車の軋む音。鍛冶場の金属音。酒場から聞こえる陽気な音楽。
そして、香辛料や焼きたてパンの香り。
レグナリアの街並みとはまるで違う。
そこには秩序ではなく生命の躍動があった。
「すごい……。」
思わずアリシアが小さく呟く。
黄金色の瞳が街を見つめたまま離れない。
「人が……こんなに……。」
アリアはそんなアリシアの横顔を見て、自然と微笑む。
「ここがエルシア王国。」
「世界中から人が集まる商業国家。」
「私も昔、家族で一度来たことがあるくらいだけど…」
クレナはどこか懐かしそうに街を眺める。
「こんなに賑やかだったかな~?」
三人はゆっくりと街道を下り、巨大な正門へ向かって歩き始めた。
門前には数え切れないほどの旅人が列を作っていた。
荷馬車。商隊。冒険者。旅芸人。吟遊詩人。異国風の衣装を身に纏った商人たち。
「本当に世界中から人が来ているんですね~」
クレナが驚いたように辺りを見渡す。
「この国は国境を越えた交易で栄えている。」
アリアが静かに説明する。
「だからこそ他国より入国も比較的自由なの。」
「もちろん問題もあるんだけどね…。」
「問題…?」
アリシアが首を傾げる。
「自由ということは、良い人だけじゃない。」
「悪い人も入りやすいってことなの。」
「そっか…」
アリシアは少し不安そうに門の向こうを見る。
すると。
「次の方ー!」
門番の声が響く。
簡単な身元確認だけで三人は街へ入ることができた。
一歩踏み入れた瞬間。
「わぁ……!」
アリシアが思わず声を上げる。
目の前には巨大な石畳の大通り。
左右には色鮮やかな看板が並び、花屋。パン屋。武器屋。神託具店。宝石店。露店。大道芸人。
子ども達が走り回り、楽器を奏でる吟遊詩人の周りでは人々が足を止めている。
どこを見ても人、人、人。
「こんな国があったんですね…!」
アリシアは目を輝かせる。
「綺麗……。」
「楽しそうだね、アリシア。」
アリアも思わず微笑む。
「レグナリアとは全然違う。」
「レグナリアは神託術士や兵士ばかりだったけど…。」
「ここは普通の人たちの笑顔がいっぱい。」
クレナは辺りを入念に見回していた。
「美味しいごはん、美味しいごはん。」
そんなクレナの視界に一本の脇道が映った。
昼間だというのにフードを深く被った男たちが何やら小声で話し込んでいる。
大通りとは空気が違う。
活気の裏側に潜む静かな闇。
それもまた、この国の日常だった。
さらに歩くと、大きな運河へ辿り着く。
石造りの橋の上では露店が並び、魚を焼く匂い。
果物を売る少女。香辛料を量り売るする老人。
旅人たちが笑いながら値段交渉をしている。
「この街、ずっと見ていたくなる。」
アリシアが呟く。
「ねぇ、アリア。」
「みんな笑ってる。」
「うん。」
アリアも嬉しそうに頷いた。
「この国は自由だから、良くも悪くも色んな人が集まるんだと思う。」
クレナが苦笑する。
三人は橋の上で少しだけ足を止める。
運河には交易船がゆっくりと行き交い、荷物を積み下ろす作業員たちの掛け声が響いていた。
その光景を見つめながら、アリアはふと呟く。
「……私の故郷も。」
「こんな風に賑やかだったのかな。」
その一言に、クレナとアリシアは何も言わなかった。
アリシアは静かにアリアを見ていた。
アリア自身も詳しくは知らない。
物心ついた頃にはレグナリアで過ごしていた。
記憶もほとんどない幼いころに故郷を離れていたためだ。
だからこそ、レグナリアとは違うこの賑やかな街並みにどこか想いを馳せてしまった。
その時だった。
ふわり。
風と共に花の香りが流れてくる。
「いい香り……」
アリシアが自然とその匂いを追いかける。
一本細い通りを曲がった先。
そこには小さな花屋さんがあった。
色鮮やかな花々が店先いっぱいに並び、その一角だけが街の喧騒から切り離されたような穏やかな空気に包まれている。
「きれい……。」
アリシアは吸い寄せられるように歩き出した。
店先では、一人の少女が花束を作っていた。
栗色の綺麗な長髪に花の香りを纏わせ、白いワンピース姿で花を一本一本丁寧に束ねている。
少女は客に花束を渡すと、柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございました!」
その笑顔を見た瞬間。
三人は胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
少女は三人に気付き、ぱっと笑顔になる。
「こんにちは!」
「旅の人ですか?」
「はい」
アリアが答える。
「今日、この街へ着いたばかりです。」
「やっぱり!」
少女は嬉しそうに両手を合わせる。
「見たことない顔だったから、そうかなって思ったの!」
「私はララです!ここで花屋フルール・エトワールやってるの」
ララは元気いっぱいに自己紹介をした。
「私はアリア、ララさんよろしくね」
「私は、アリシア…ララさんよろしくお願いします。」
「私はクレナ、よろしくねララちゃん。」
三人が順番に名乗る。
ララは何度も頷きながら笑顔を浮かべた。
「アリアさん!アリシアちゃん!クレナちゃん!みんなよろしくね」
「あっ!ララでもララちゃんでも大丈夫だよ~!」
その人懐っこさに、三人とも自然と笑みを浮かべる。
クレナが店先の花を見回した。
「すごく綺麗なお花~」
「ありがとうございます!」
ララは嬉しそうに花を抱き上げる。
「このお花はレグナリアから仕入れたものなんです!」
「こっちは北の国。」
「これは海の向こう。」
「世界中のお花が集まるのも、ここならではなんですよ~」
「すごい………」
アリシアは花を見つめながら呟く。
その姿を見たアリアとクレナは、ふっと微笑んだ。
「アリシアちゃん、お花が好きなんですね!」
「…うん。」
「なんだか……見ているだけで落ち着くの。」
「私もです!」
ララは笑顔で頷く。
「お花を見ていると心が安らぎますよね。」
アリアはそんな二人を見守りながら微笑んだ。
アリシアの自然な笑顔が着実に増えていて、その小さな変化がアリアは何よりも嬉しかった。
するとララは少しだけ声を潜める。
「でも最近、この辺り少し変なんです。」
「変?」
アリアの表情が引き締まる。
「上下に黒っぽい服を着た、いかにも怪しい人!みたいな神託術士たちを見かけるようになって…」
「近所の古物屋さんでも神託時代の誰も読まないような古い本ばかり盗まれたりしているんです!」
アリアとクレナは静かに顔を見合わせた。
二人とも同じことを考えていた。
これは偶然じゃない。
私たちが追うべき何かが、このエルシア王国にも確かに存在している。
「それじゃあ!」
ララは花束を店先へ並べ終えると、ぱんっと両手を合わせた。
「今日は店も落ち着いてるし、エルシアを案内してあげる!」
「えっ、本当にいいの?」
アリアが驚く。
「もちろん!」
「旅人さんを歓迎するのも、エルシア流なんだから!」
ララは屈託のない笑顔を浮かべる。
「それに、街を知らないままだと迷子になっちゃうよ?」
「確かに…」
クレナが苦笑する。
「ここ、路地が多すぎます!」
「でしょう?」
「初めて来た人は一日で絶対迷うもん。」
そう言ってララは歩き出した。
三人はその後を追った。
最初に案内されたのは、大市場だった。
石畳いっぱいに露店が並び、人々が肩をぶつけ合いながら行き交っている。
「こっちがお野菜!」
「こっちは果物!」
「向こうがお肉屋さん!」
「さらに奥がお魚屋さん!」
店というより、一つの街そのものだった。
商人たちの威勢のいい声が飛び交う。
「採れたてだよ!」
「今日だけ安いよ!」
「見ていくだけでもいいよ!」
「すごい………。」
アリシアは目を丸くしていた。
「こんなにたくさん……」
「毎日こんな感じなの…?」
「うん!」
ララは笑う。
「エルシアには世界中の船や商隊が来るからね!」
「珍しいものもいっぱいあるんだ~!」
クレナは香辛料の露店を眺めながら感心していた。
「すご~い!レグナリアでは見たことない調味料まである。」
「料理好きにはたまらないですよ。」
「クレナちゃん、お料理するの?」
「えっと……」
少し照れたように笑う。
「食べる方が好きです…」
その一言で全員が吹き出した。
「やっぱり!」
アリアが笑う。
「もう、アリア隊長!!」
クレナは少し頬を膨らませる。
「違いますよ!」
「料理もできます!」
「でも、美味しいものを見るとつい食べたくなるだけです!」
「ふふ。」
アリシアも自然と笑みがこぼれていた。
市場を抜けると、街並みはさらに変わった。
建物の間を運河が流れ、小さな石橋が幾つもかけられている。
橋の上では大道芸人が芸を披露し、その周りを子ども達が囲んで歓声を上げていた。
「エルシアって、まるでお祭りみたい。」
クレナがぽつりと呟く。
「そうかも!」
ララは嬉しそうに振り返る。
「毎日がお祭りみたいな国だから!」
「商売する人も。」
「旅する人も。」
「歌う人も。」
「戦う人も。」
「みーんな自由!」
「自由ね…」
アリアがその言葉を繰り返した。
「はい。」
ララは真っ直ぐ頷く。
「だからこそ、この国は栄えたんです。」
「誰でも受け入れる。」
「誰でも挑戦できる。」
「それがエルシア王国。」
クレナは周囲を見渡した。
様々な国の服装。
聞きなれない言葉。
異国の文化。
「本当に世界中の人がいますね…」
「うん。」
「だから情報も集まる。」
ララは時計塔を指差した。
「見える?」
街の中心に建つ巨大な時計塔。
「あそこが王都の中心。」
「その近くにはギルド本部もあるよ。」
「冒険者ギルドかな?」
アリアが尋ねる。
「冒険者だけじゃないよ!」
「傭兵、商人、運び屋、護衛依頼、全部あそこ!」
「依頼を受ける人も、仕事を探す人も集まるんだ~」
「便利ですね。」
「そうでしょ~?」
「困ったらとりあえずギルド!」
ララは笑う。
「エルシアでの合言葉みたいなもの!」
さらに歩くと、通りには酒場が増えてきた。
昼間だというのに扉は開き、多くの客が酒を飲んでいる。
楽器の音。笑い声。乾杯する音。
その一方で、店の隅では小声で話し込む人影も見える。
アリアは静かにその様子を眺めた。
「情報交換……。」
「そう。」
ララは少し真面目な顔になる。
「エルシアでは情報も商品だから。」
「ここで交わされる話が、一つの国を動かすことだってある。」
「そんなに……。」
「うん。」
「国同士の表には出てこない静かな戦争。」
「未探索の遺跡の場所。」
「禁書。」
「賞金首。」
「全部、お金になる。」
クレナは思わず肩を竦めた。
「ララちゃん…ちょっと怖いよ~」
「あはは…クレナちゃんごめんね!だから私も怖くて夜はあんまり歩かないかな。」
ララは苦笑しながら話す。
「昼のエルシアは平和だけど。」
「夜になると、別の街みたいになるから。」
その言葉にアリアは静かに頷いた。
レグナリアでは騎士団が街を巡回し、秩序を守っていた。
しかしここは違う。
自由と引き換えに、危険も共存している。
それでも。
人々の表情はどこか生き生きとしていた。
自由を選び、自分の力で生きている。
そんな誇りが感じられる。
「ねぇ。」
ララが歩きながら振り返る。
「エルシア、好きになってきた?」
アリシアは少し考えたあと、小さく微笑んだ。
「うん。」
「まだ来たばかりだけど…」
「なんだか、あったかい街だね。」
ララは満面の笑みを浮かべた。
「良かった!」
「その言葉だけで案内した甲斐があった!」
アリアも優しく微笑む。
「ありがとう、ララ。」
「私たちだけじゃ、ここまで街のことは分からなかった。」
「えへへ~」
ララは少し照れくさそうに笑う。
「じゃあ次はね~」
そう言いかけた時だった。
彼女の視線が、一瞬だけ人混みの奥で止まる。
黒い外套を羽織った一人の男。
その男は、こちらを確認したかのように静かに踵を返し、細い路地裏へと姿を消した。
「……?」
ララは首を傾げた。
しかし、すぐ笑顔へ戻る。
「気のせいかな。」
だが、その男は確かに三人を見ていた。
「そうだ!」
ララが突然、何かを思いついたように振り返る。
「エルシアに来たなら、絶対食べてもらいたいものがあるの!」
「食べ物!?」
その言葉に、一番早く反応したのはクレナだった。
「美味しい?」
瞳をきらきらと輝かせる。
アリアは苦笑する。
「やっぱりそこに反応するんだね。」
「えへへ……」
少し照れたように笑うクレナ。
「旅って、ご飯も楽しみじゃないですか。」
「しかもここ数日は簡単なものしか食べれていないので久々のごちそうですよ!」
「確かにそうだね。」
「じゃあ決まり!」
ララは三人の手を引くように歩き始めた。
「こっちこっち~!」
石畳の道をしばらく歩くと、一軒の小さな屋台が見えてきた。
鉄板の上では、香ばしい音を立てながら丸い生地が焼かれている。
甘い香りが辺りいっぱいに広がっていた。
「これ!」
ララが誇らしげに指差す。
「エルシア名物、花蜜パンケ!」
「花蜜……?」
アリシアが首を傾げる。
「北の国の特別なお花から採れる甘い蜜を練り込んだ焼き菓子なの。」
「甘くてふわふわなの!」
「いただきま~す!」
気付けばクレナは一歩前へ出ていた。
三人は思わず笑ってしまう。
アリアは思わず笑ってしまう。
「まだ買ってもないよ。」
「あっ…」
クレナは頬を赤く染める。
「すみません…。」
「ふふっ。」
ララも楽しそうに笑った。
「やっぱりクレナちゃん、食べるの好きなんだ~」
「…好きです。」
少し恥ずかしそうに答える。
「とっても。」
その素直さに全員笑ってしまった。
数分後、焼きたての花蜜パンケを片手に、近くの噴水広場へ腰掛ける。
「いただきます。」
四人が揃って手を合わせた。
一口食べた瞬間。
アリシアの表情がぱっと明るくなる。
「……おいしい!!!」
「でしょ!」
ララは満面な笑みを浮かべる。
「ほんのりお花の香りがする。」
「甘いのに、しつこくない……。」
アリシアは夢中になってもう一口頬張る。
「そんなに気に入った?」
「うん。」
アリシアはこくりと頷く。
「初めて食べた味。」
その笑顔は、旅に出てから自然なものだった。
「………」
「……幸せです。」
隣ではクレナが両手にパンケを持ったまま、しみじみと呟いていた。
「良かったね、クレナ。」
アリアが優しく声を掛ける。
「はい…」
クレナは真剣な顔で頷く。
「甘いものって、人を幸せにします。」
「ふふ。」
ララが笑う。
「なんだか分かる。」
「私も疲れた日は甘いもの食べちゃう。」
「だよね!」
急に意気投合する二人。
「今度おすすめのお店教えます!」
「本当!?」
「はい!」
「甘いものだけじゃなくて、お肉料理も美味しいところがあります!」
「え、どこどこ!?」
「東通りを少し行ったところで―――」
二人は食べ物の話で一気に盛り上がり始める。
アリアとアリシアは呆れたように笑った。
「すっかり仲良くなったね。」
「うん。」
アリシアも微笑む。
「楽しそう。」
ふと、ララがアリシアへ尋ねた。
「アリシアちゃんは?」
「好きな食べ物ある?」
その質問に、アリシアは少し困ったように首を傾げた。
「……分からない。」
「記憶がないから。」
「あー…」
ララはしまったという表情になる。
「ご、ごめんね!」
「ううん。」
アリシアは静かに首を振る。
「でもね。」
「今日食べたものは覚えていられる。」
そう言って、花蜜パンケを見つめる。
「だからこれは私の好きな食べ物第一号。」
その言葉にララの顔がぱっと明るくなる。
「アリシアちゃん……!」
「じゃあ、また皆で食べよう!」
「次はもっと美味しいもの紹介するね!」
「うん!」
アリシアも嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ながらアリアは空を見上げる。
旅に出る前。
記憶を失った少女は、不安しか抱えていなかった。
けれど今は違う。
笑っている。
食べ物を美味しいと言い。
人と話し。
少しずつ、この世界を好きになろうとしている。
(……よかった。)
それだけで十分だった。
「そういえば。」
ララが思い出したように言う。
「みんな、今日泊まる場所決まってるの?」
三人は同時に固まった。
「……。」
「……。」
「……。」
ララは目を丸くする。
「え?」
アリアは苦笑いを浮かべた。
「実は、まだ……。」
「決まってなくて。」
ララは額に手を当て、大げさにため息をつく。
「もう~!」
「それを先に言ってよ!」
「うち、二階が空いてるから泊まれるよ!」
「えっ!?」
三人が同人に驚く。
「本当に?」
「もちろん!」
ララは笑う。
「その代わり~」
「少しだけお花屋さんのお手伝いしてもらえたら嬉しいかな!」
「そんなことでいいの?」
アリアが尋ねる。
「うん!」
「私も一人じゃ忙しい日があるし。」
「皆と一緒なら楽しそうだから!」
クレナはぱっと表情を明るくした。
「ありがとうございます!」
アリシアも深く頭を下げる。
「ララさんよろしくお願いします。」
ララは照れくさそうに笑った。
「こちらこそ!」
「これからよろしくね!」
その瞬間。
四人の間には、旅の仲間とはまた違う、確かな友情が芽生えていた。
その日の夕暮れ。
茜色に染まっていた空はゆっくりと群青へと姿を変え、エルシアには無数のランタンが灯り始めていた。
昼間は商人たちの威勢のいい声であふれていた市場も、今では酒場から聞こえてくる陽気な笑い声や音楽へと姿を変えている。
石造りの建物の壁に揺れる橙色の灯火。
運河に映る光が静かな波紋を描き、昼間とはまるで別の街のような幻想的な景色が広がっていた。
「夜になると、街の雰囲気が変わるね。」
アリアは静かに周囲を見渡していた。
「でしょう。」
ララは慣れた様子で笑う。
「昼は商人の街。」
「夜は情報の街。」
「それがエルシアなんだ。」
四人は花屋へ戻る道をゆっくり歩いていた。
だが、昼間よりも人通りは減っているにも関わらず、不思議と街は静かではない。
酒場から聞こえる笑い声。
楽団の演奏。
どこかで始まる賭け事の歓声。
それらに混じるように、路地裏では誰かが小声で話し合っている姿も見える。
クレナは少しだけアリアへ近づいた。
「アリア隊長…。」
「やっぱり少し怖いですね。」
「無理もないよ。」
アリアは優しく微笑む。
「昼間とは街そのものが変わってみえてくるからね。」
「でも安心して。」
「今日はみんな一緒だから。」
「はい。」
その言葉だけでクレナの肩から少し力が抜けた。
隣を歩くアリシアは、街の景色を興味深そうに眺めていた。
「昼はあんなに明るかったのに…」
「夜は少しだけ寂しいね。」
「うーん。」
ララは少し考えこむ。
「寂しいというより、本当の顔かな。」
「本当の顔?」
「うん。」
ララは遠くの酒場を見つめた。
「エルシアには世界中の情報が集まるって話したでしょ?」
「だから、昼間に表へ出る人もいれば。」
「夜になってから動き始める人もいる。」
「情報屋さん。」
「賞金稼ぎ。」
「傭兵。」
「裏商人。」
「それに……。」
ララは一度言葉を止める。
「できれば関わりたくない人たちも。」
クレナが小さく息を呑んだ。
「そんなに危ないんですか?」
「普通に歩いてるだけなら大丈夫。」
「でも、路地裏には近づかない方が良いよ。」
「私は小さい頃から何度も言われて育ったの。」
「夜の路地裏には近づくな。」
「知らない人には付いて行くな。」
「変な噂を聞いても首を突っ込むな。」
「それがエルシアの子供の常識。」
アリアは静かに頷いた。
秩序によって守られる国レグナリアと、自由の中で危険を避けながら生きる国エルシア。
その違いを改めて実感する。
その時だった。
「……ねぇ。」
アリシアが足を止めた。
「どうしたの?」
アリアが振り返る。
アリシアは一本の細い路地裏を見つめていた。
その奥には黒い外套を羽織った数人の人影が見える。
「今……。」
「光った?」
一瞬だけ。
青白い光が闇の中で脈打った。
まるで神託術にも似た輝き。
だが、その光はどこか冷たく、無機質だった。
「……気のせいかな。」
アリシアが首を傾げた瞬間。
その光は跡形もなく消えていた。
アリアの表情が僅かに引き締まる。
(今のは……。)
神託術。
いや、違う。
似ているようで、どこか異質だった。
まるで神託術を模倣した何か。
しかし、この距離では判別できない。
ララは気づいていない様子で歩き続けている。
クレナもアリシアの視線の先を見たが、そこにはもう誰の姿もなかった。
「何かいたの?」
「……ううん。」
アリシアは少しだけ困ったように笑う。
「気のせいだったみたい。」
アリアは何も言わなかった。
ただ、胸の奥に小さな違和感だけが残る。
その違和感は、ルミナリアで感じたものとどこか似ていた。
「そういえば。」
ララが思い出したように口を開く。
「最近ね。」
「街で変な噂が流れてるの。」
「噂?」
「うん。」
ララは声を潜める。
「夜になると、黒い服を着た神託術士みたいな人たちが古い遺物を探し回ってるんだって。」
「しかも、その人たちを見た人は決まって言うの。」
「神託術を使っているはずなのに、詠唱が聞こえなかった。」
「見たことがない光だった。」
「腕につけた変な装置が光っていた。」
アリアは息を呑む。
「……そんな話が。」
「うん。」
「だから最近、夜は店を早く閉める人も増えたんだ。」
ララは少しだけ不安そうに笑った。
「本当かどうか分からないけどね。」
しかし、アリアは確信していた。
これはただの噂ではない。
誰かが確実に、この街で動いている。
夜風が四人の間を静かに吹き抜けた。
夜もすっかり更けた頃。
四人は再びララの花屋へと戻ってきた。
昼間は色鮮やかな花で賑わっていた店先も、今は静かなランタンの灯りだけが優しく揺れている。
ララは入口の札を営業終了へ裏返すと、軽く伸びをした。
「ふぅ、帰ってきた~。」
そう言って振り返り、三人へ笑顔を向ける。
「二階、案内するね!」
木造の階段を上ると、そこには思っていた以上に広い空間が広がっていた。
小さな窓からは夜のエルシアの街並みが見え、花の香りがほのかに漂っている。
部屋は質素ながらも丁寧に掃除されており、清潔な寝具をララが三人分用意した。
「普段は物置代わりなんだけど、ちゃんと寝られるよ!」
「本当にありがとう。」
アリアは深く頭を下げる。
「こちらこそ!」
ララは照れくさそうに笑った。
「お店のお手伝いをしてくれるなら大助かりだし。」
「それに……」
少しだけ間を置いてから続ける。
「一人より、皆でいた方が楽しいもん。」
その何気ない一言に、アリシアは自然と微笑んだ。
記憶を失ってから、自分の居場所などないと思っていた。
けれど今は違う。
旅を共にするアリアとクレナがいて、この街にはララがいる。
「ありがとう。ララ。」
アリシアが小さく呟く。
「えへへ。」
ララは嬉しそうに笑い返した。
「明日からよろしくね!」
「うん!」
アリシアは力強く頷いた。
その様子を見ていたアリアは、静かに窓の外へ視線を向ける。
王都エルシア。
自由を尊び、多くの人々が行き交う情報の国。
その華やかな街並みの裏側では、神託時代の遺物が何者かによって盗まれ、不審な神託術士の目撃情報も相次いでいる。
偶然ではない。
ルミナリアでの出来事と、確実に繋がっている。
(私たちがここへ来た意味は、きっとある。)
アリアは静かに拳を握った。
アリシアの記憶。
ソレーヌの真実。
そして、姿なき敵。
その全てを知るためにも、この街で得られる情報を決して見逃せない。
「明日から忙しくなりそうだね。」
アリアが穏やかに呟くと、
「はい!」
クレナが元気よく返事をする。
「ララちゃんのお手伝いも頑張ります!」
「まずは朝ご飯ですね!」
その言葉に、部屋の空気が一気に和んだ。
「もう、クレナは本当に食べることばっかり。」
ララが笑う。
「だって、ご飯は大事ですから!」
「ふふっ。」
アリシアも思わず笑い声を漏らした。
その笑顔を見て、アリアも静かに微笑む。
こんな穏やかな時間が、少しでも長く続いてほしい。
その場にいた誰もが、そう願いながら静かにエルシア王国での一日が終わろうとしていた。
花屋フルール・エトワールから少し離れた時計塔の屋上。
夜風に黒い外套を揺らしながら、一人の青年が静かに花屋を見下ろしていた。
淡く青白く光る小型端末を手に取り、誰かへ短く通信を送る。
「対象を確認。」
「保護対象アリシア、現在もアリアと共に行動中。」
わずかな沈黙。
端末の向こうから返ってきた声に、青年は静かに頷く。
「了解。」
「引き続き監視を継続します。」
通信が途切れる。
青年は花屋の窓から漏れる温かな灯りを静かに見つめていた。
「……」
その瞳には、感情らしい感情は宿っていない。
ただ、淡々と任務を遂行する冷たい光だけが映っていた。
その名を、この街の誰もまだ知らない。
エルシア王国の夜は静かに更けていった。

コメントを残す